「キセキ」(2012)
わが家に、私たちのはじめての子どもである長女Eがやってきたのは、15年前の春のことでした。突然やって来たのに、その日から、そこに居るのが当たり前になり、すっかりわが家のアイドルになったE。何とも言えない温かいようなくすぐったいような、それまで体感したことのない初めての感情が私の中に湧きあがり全身をみたして行きました。同時にこんなにも私を必要としてくれる存在があるんだと言う、これまた今までに感じたことがない責任を自覚しました。
それから、能天気な私は、初めての子育てにてんてこ舞いしながらも、Eがよその子どもたちより数百倍可愛い♡という以外に、特に目立った違いや特徴を感じることもないまま過ごしました。
そんなEに同じ年頃の子どもたちとは個性を超えた違いがあり、それを一般的に「障害」と言う、と気づかされたのは、彼女が1歳半になるころでした。
成長における違いや特徴をそれまで全く感じなかったはずのEでしたが、今から思うと、心当たりのあることばかり。ムンクの「叫び」と同じ表情で掃除機を異様におそれおののく姿も、抱きかかえようとすると妙にのけぞって落っこちそうになる様子も、両手に持った積み木をひたすら打ち続ける態度も、歩けるようになると瞬間移動のようにあっという間にいなくなるさまも、まさに自閉症の典型。
14年の間にあいまいだった診断名は重度精神発達遅滞を伴う自閉症(重症)と太鼓判(?)を押してもらい、またEと2歳半・6歳半違いの長男・次男を育てる中でも、その事実を受け止めざるを得なくなりました。
さすがにそのことを知らされた当初は大きく戸惑い、次の朝起きたら全ては夢になっているかもなどと考えたこともありますし、娘のことを世界で一番かわいいと信じて疑わなかった夫は、指摘を受けた病院でドクターに喰ってかかったこともありました。
それでも、この14年、私は、そしておそらく夫も不幸だと感じたことは一度もありません。もちろん毎日がしあわせで仕方ないなどと感じているわけではありませんし、夏休みなどは始まった瞬間から「早く休みが終わらないか」を考えるのも本音です。
また長男や次男に対して思い通りのことがしてやれないともどかしく思うことも、自己嫌悪やイライラにさいなまれることも毎日のようにあります。また、娘の育て方に迷い、悩むことは、ほとんど日課ですらあります。常に前向きで生きているかと問われたらイエスとは言い難い時や、不安を感じることも多いです。それでも、不幸だと感じずに過ごしてこられたのは、何より娘に対して尊いまでの存在意義を感じるからです。
14年前のそのとき、私は33歳でした。多くの人がそうであるように、私も自分自身の考え方、いわゆる人生観や価値観など、すでに形成されてしまっていたと思います。特に冷酷な人間だとは思っていませんでしたが、娘のようなタイプのひとに、あるいは一般的に「障がい」があると言われている方々に特に思いをはせることはありませんでした。何かの折に目を向けることがあったとしても、思いあがったことに「何かをしてあげる」存在としての視線を送っていたと思います。
そこへ娘Eがやって来ました。娘は私に、私の無知や高慢さを思い知らしめ、33年分の凝り固まった人生観や価値観、大げさに言うと哲学までもすっかり変えてしまったのでした。すでにそれなりに出来あがった大人を説得したり、ものごとの捉え方・考え方を変えることは、決して簡単ではないばかりか、たいていは不可能であることを、多くの人が感じているはず。それを、あっさりとやってのけたのがEでした。それも存在するだけで!まさに奇跡です。今では、娘と出会わなかったバージョンの人生は想像すらできません。
そう、娘と出会わなかったバージョンの人生では得ることができなかったであろう多くの「出会い」と「支え」に助けられたことも、私が決して不幸だと感じて来なかった大切な要素です。家族だったり、通園施設や特別支援学校の先生方、弟たちが通う学校の先生方だったり、弟の友達のお母さんたち…そして同じように個性を超えた特徴を持つ子どもたちを授かったお母さん仲間…と様々な出会いを通してまた新しい自分と出会い、出会った人びとに支えられての14年間でした。そしてそれらは娘を通じて得た私の宝物です。