最初の違和「そう言えばうちの子喋ってない。」
それはEが1歳半になったばかりのこと。出産前に産院で知り合った近所のお友だちのお子さんがひとあし先に受けた1歳半健診でどうやら耳が聞こえていないらしいことが分かったと聞きました。難聴の可能性が出てきたのは発語が全くないからだと言います。その時、ようやく「そう言えばうちの子も喋ってない。」ことに気づきました。
後になって、多くの自閉症をはじめとする発達障がいの子どもを持つ親たちが、診断前から何らかの違和感を感じたり察したりしていたと聞くこともありますが、私の場合、うちの子に何か根本的な違い、いわゆる「障害」があるとはかすかに頭によぎったことすらありませんでした。
実を言うと、Eは1歳半まで歩かず、平均的な歩行開始月齢が12カ月前後と言われていることから、どちらかというとそのことが少し気になってはいました。ただ、首の座りやハイハイも平均的かあるいは平均より少し早めにできるようになっていたし、ハイハイもそこそこにつたい歩きをはじめ、一見歩き始めていないことに気づかないくらい器用に素早く移動をしていたので、本気で心配していたわけではありませんでした。
また、歩けるようになるとそれまでの分を取り返すかのようにスタスタと前へ進み、下り坂だろうが、溝の近くだろうが、エスカレーターだろうがずっと移動し続けるので追いかけるのが本当に大変。
そのいつでもどこでも素早く移動することが「多動」という自閉症等の特性のひとつだったのかと考えるのはまだ先の話で、その時は「歩き始めが遅い」というかすかな気がかりも解消し、可愛いさをふりまきながら走るEを追いかけるの楽しく嬉しくて、その動きや表情が充分に何かを語っているように思えて、「うちの子喋ってない」ことを何かの違いだとか異常とか全く思っていませんでした。
けれど、そのお友だちの「うちの○○ちゃん、お耳が聞こえていないらしいの。」「全く言葉出てないから検査に行くように言われてその結果からも明らかなんだ。」の言葉を聞いた瞬間、突然目の前に幕がおろされたかのように薄暗い不安が広がりました。それまで少しも気に留めていなかったはずの 母子手帳にある「意味のある言葉をいくつか話しますか。」欄の「いいえ」は、まるで白い紙に墨汁でぽとりと落としたシミのよう見えてきました。